月刊風とロック5月号

日曜日、ちゃんとゲットしてきましたよー。よかった、ライブの前に手に入れることができて。ライブの後だったら忘れていた可能性大。ほんと突っ走ると他はほっぽりだしちゃうのね、自分。
さて。表紙がモノクロのスネオである5月号、巻頭から7ページはスネオの写真が。編集後記によると、「壊れたスネオヘアー」がテーマだったそうで、ギターを床に叩きつけるわ、セットペーパーを蹴飛ばし破るわ雄たけびをあげるスネオががつりと写っております。でも1枚だけ、記事のページの隣のスネオは体育座りで目を伏せて、ちょっと左側にいます。手は、右手で左手の手首〜甲あたりを握っていて。この表情、たまりません。
スネオの「NO○○,NO LIFE.」は「NO ひとりぼっち,NO LIFE.」

学生のときって、一緒に勉強しようよとかあるじゃないですか。そういうのできなかったんですよ。音楽でいうと、バンドみたいにみんなでやりとりしている中で、わーって何かが出てくるっていうタイプじゃないんです。わーってやったら、やって、そこで気持ちを使い果たして終わっちゃう。飲みに行っても、そこで最後までただ飲んで終わっちゃう、完結しちゃう。何かをして、それから影響を受けて、それを表現するとかじゃないです。何にもないひとりでいる時間がないと絶対にダメなんですよ。

と、まあ、そういう「ひとりの時間」からスネオ作品は生まれてきてるってことなんですね。これたぶんインタビューなんでしょうけど、まあ話があっちいったりこっちいったりしているんですが、それがそのままスネオ自身の揺れを感じさせてくれます。
この間のライブや「風とロック」の第1号でもある4月号でもいってた「ロックなめんなよっていうのやめたんです」ってことについてもこう言っています。

「ストライク」っていう曲に、「本気を笑うものなんてない」って歌詞があるんですけど、その「本気」っていうのが今ちょっとヤバイんじゃないですかね。じゃあ、本気でやれてんのかよお前は、自分は、って思うと言ってるばっかりで…。その本気っていうのが、やっぱりイコール、ロックだと思うんですよね。一方で自分は、あんまり難しいところに首つっこみたくない、隙間をすっと通りぬけていきた…(笑)、みたいな感じになっちゃうんですよ。
(中略)
でも、そう思いながら、やっぱり面倒くさいな、とか怖いなっていうのはあるんですよね。自分が言ったこととか結構しょっちゃう方なんで、だから「ロックなめんなよ」っていうのももうやめようかなって。(笑)
(中略)
やっぱり自分のこと言うのってすごく怖いですよね。だからひとりにならないとバランスがとれないんですよ。ずっと言い続けてたら、すぐダメになっちゃうと思う。

『ストライク』を初めて聴いたときに急にこう、前向きな熱いある意味「応援ソング」っぽくなっていてちょっと驚いて、スネオ自身も「前向き」って言っていたんですが…ああ、この「本気」も前向きじゃなくて自問自答的な面から出てきた言葉だったのかとこれを読んで思いました。ああ、合点。これでそれまでのスネオとつながった気がする。でどころは同じだったんだなあ。
この間の「満更」ツアー、何度かスネオのステージを見て、途中から、というか東京2DAYSの様子はここでも触れたとおりだったのですが、こう迷いというか「どうしたんだどうしたいんだ」感が感じられるもので、それは恐らくこの春のスネオヘアーの動きと関係があるんじゃないかなと思っていました。ラジオのレギュラーや、新曲、ファンクラブ設立。今までのスネオよりもさらに露出が高まる中、「スネオヘアー」を再構築しなければならないのではないか、と。そしてそれがまだ定まってないんじゃないかなあ…という気がします。今までの「スネオヘアー」とこれからの「スネオヘアー」、そして「渡辺健二」との折り合い。まだ落としどころが定まってないような、若干不安定さを醸し出しつつ。
インタビューの最後には、こういうことを言っています。

渡辺健二」と「スネオヘアー」の間を行ったり来たりしてるんですよ。個人の、渡辺健二っていうのが看板になってないんで、戻って来れるというか。全部、自分が全面に向いていて、全部丸見えみたいになってたら絶対ダメだと思う。

AX2日目を見た後の感想で「単純に言えば、今日はスネオヘアーとしての仕事がちゃんとできていた気がします。昨日のメンバー紹介では、「渡辺健二」って言ってたけど、今日は「スネオヘアー」って言ってた」と書いた*1のですが、何だろう…単純にいうと、「売れる」ってことが関係してるのかな…。どうなんだろう。行き来するのがいいとか、うまく融合するのがいいとか、そんなことはなんとも言えません。私はこんな立場ではないのでなんともいえないけど、人はウチとソトでは違うものだから、その差に違いはあれ、少なくとも行き来しているんだと思う。ただ…こう、魂削って発信することを仕事としている人はどうなんだろう。やっぱり行き来しなきゃだめなんだろうか。それともそこに上手く折り合いつけないと、つぶれてしまうんだろうか。甘いんだろうか。そんなことをウダウダ考えてしまいます。でも、

結局のところは、スネオも渡辺もないんですよ。わーってやんなきゃだめだ、どうすんだっってなったらもう行くしかないんで、もうスネオも何もあるかよって。自分でしかないんですよ。名前を借りて、自分がちょっと変われる気がする、そういう期待をしているんですよ。

と最後に言っているので、不安定だけど、でも覚悟はできてるのか…。とにかく、スネオヘアーにとってはちょっと正念場、であることはたぶん間違いないんでしょう。うむ。
…ま、単なるスネキチの戯言です。ハイ。