今日のつれづれ

昨日は時間がなかったんだな…と、自分の書いたものを見て反省。今日も芝居を観にいくので、なんとか昨日の内に、とか、でもテレビみたいし、とか思っていたので…あわわ。
で、キャラメルのお芝居は、終わったあと出口のところで今日つかった音楽と選曲のエピソードが書いてある紙*1がおいてあるのですが、それをもらってきて、今日ちゃんと読んだら、昨日、私が思ったことはちゃんと意図してなされていたことなんだ、ということがわかりました。例えば

成井は「今回は映画のようにくるくるシーンが変わっていく芝居にしたいんだ」と言っていた。

という部分。キャラメルのお芝居は暗転がほとんどない。でも、場面と場面を上手くつないでいくのですが、今回はほんとにそれが多かった。つなぎかたには違和感がなくてもやはり数が多いと、観ている私はちょっと疲れてしまった。でも、演出である成井さんがそれを意図してやっていたのであれば、実験的な試みとしてはいいのかな、という気もする。また、

稽古が始まり、みんなが『スキップ』に集中していくのを見るに付け、どうも、みんな「キャラメルボックスの芝居」というよりも『スキップ』をやることに集中しているような、ヤバイ感じがしてきたのです。つまり、放っておくと、「普通の演劇」になっちゃうんじゃないか、という感じ。

というところが私の今回感じたところ、そのものだったと思う。加藤さんのことばを借りていうならば、『スキップ』と「キャラメルボックスの芝居」の融合を図ろうとしたのだろうけど、でも、私が観たものは融合ではなく「どっちつかず」だった。だから観終わったあと、なんだかもの足りないような感じがしたんだと思う。

そこで、僕は決意しました。「音楽は『キャラメルボックスの王道』でいこう」と。

と、いうわけで音楽はいつものキャラメルっぽかった、ということになるわけです。でもまあ、すべて意図してやったことは、その通りに受け取っていたわけで、だから、じゃあなんなのかといえば単純に私が観たかったものとは違った、ということなんだろうな、と。例えるならベスト盤が出たと聞いてCDを買ったら、シングルベストだけども、すべてアレンジが変わっていた、という感じかなあ。「シングルそのまま入れてくれよー!」でも、だからといって嫌ではないんだけど「じゃあレンタルでよかったかもなあ」って感じで。
どうして成井さんが『スキップ』をやりたいと思ったのかはわかりませんが、『スキップ』をお芝居にする、ということ自体はうまくいったんじゃないかなあ、と付け加えてなんとなくまとまらない気もするけど、今日はナイロン観にいくんで、ここまでにしまっす。

*1:書いているのは製作総指揮:加藤昌史さんです。この方の前説は毎回すごいなあ、と思います。でも昨日は走っていったけどもう始まってた…。