演劇集団キャラメルボックス『スキップ』(2004/12/21 19:00〜)

キャラメルボックスのお芝居を初めて観たのはもう10年以上前で、それからも何度か観にいっています。最近は張り切って観に行こう、という感じではなくなってきているのですが、今回は原作が『スキップ』(北村薫著)だというのがちょっと気になったのと、加えて、ハーフプライスチケットも出てるしってことで。キャラメルに関しては、ある場所にずっといつづけている気がして、でもその場所はもう私はいられない。でも、そういう場所があることは覚えていたいし、自分がいられないからといって異質なもの、違うものともしたくない。ときどき、振り返ってその存在を確認しておきたいのです。そして、自分の位置もついでに確認するのです。
…と思いながら、駅から必死に走って行きましたよ、サンシャイン劇場。遠いよ。
一応、25日までやっているので以下はネタばれも含む感想ですのでご注意を。
今回は小説が原作、ということだったのですが、ストーリーとしては17歳の真理子がある日突然42歳になってしまって、最初はそれを受け入れられなかったのが42歳の真理子の現実である家庭、職場(真理子は高校教師)の人たちを通じて、それを受け入れて、42歳の真理子として生きていくことを決意する、というもの。原作の雰囲気はキャラメルの雰囲気に通じないこともない、というかかなり近いところにある感じはするんですが、でも…それを舞台にしてしまうとやはりちょっと足りないというか。原作は一人称なのですが、それを舞台では17歳の真理子と42歳の真理子、さらに他のキャストが真理子の思いを脇で語る、という形でやっていました。だからなのか、説明する部分が多いような気がして、なかなか入りこめなかったというか、というか。最初は何が起こったのかよくわからない真理子がとりあえず前向きに、42歳としてやってみようという気持ちになるところとか、クラスの男子に告白されるところでの葛藤とか、そういう心情が描ききれていなかったと思う。17歳の真理子と42歳の真理子が心の声と、現実とをかわるがわる演じていくのですが、それぞれの役割というか、どっちが演じるかに何か意味があったのかもしれませんが、私にはそれはわからなかった。なかなか入りこめなかった理由はそこにもあるのかもしれません。
でも、逆に原作を舞台化するとこれが一番いい方法なのかもしれません。だから『スキップ』を舞台としてみる、というのならいいのだろうけど、「キャラメル」を観るとするとちょっとな…という感じ。いつもキャラメルをみていて、イレギュラーとしてやってみました、というのならいいかもしれないけど。
でも、舞台セットや音楽、照明はさすが、という感じ。セットは真ん中が回転するようになっているのですが、これを回すことによって時間のねじれを表していました。でも、場面が学校と真理子の家をいったりきたりしすぎて、ちょっと入れ替えが慌しかったかなあ。キャラメルボックスは来年20周年ということで、いろいろあるみたいなので何か観にいこうかな、もう一度くらい。